親父が自殺して良かったこと【学び編】
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皆さんこんにちは!   精神科医のチフィです!

 

さて、これまで3つの記事にわたって、「親父が自殺して良かったこと」シリーズを続けてきました。

 

 

今回はついに…その完結編です!!

 

これ書き終わるまで、なかなか他のことが手につかず大変でした。。

できればまとめて読んでほしかったので、怒涛の4記事連続更新となってしまいました、お許しください。

 

さて、予告通りこの記事では、タイトルにもなっている

  • 親父が自殺して良かったこと

 

について書いていきます。

 

やっとココまでこれました!

 

親父が死んで良かったこと

死について考えられるようになった

 

死んだらどこに行くんだろう…どうなってしまうんだろう…

 

放課後、友達とサッカーボールを蹴りながら死について考える小学生は、かなり稀でしょう。

 

たいていの幼い・若い人間にとって、死とは自分には全く関係のない他人事です

自分が死を実感することもなければ、身近な人の死というのも稀です。正確には、身近な人であっても身近だという認識が少ない、分からないということもあるでしょうが。

たまに遠い親戚の葬式に出席したりしても、「これが葬式かぁ」「なんだかオゴソカだなぁ」くらいの感想しか持ち合わせないことが多い。

僕は覚えていませんが、僕がまだ幼少期に親戚の葬式に出席した際、「退屈だったのでハゲ頭を数えて読み上げていた」と母親から教えられたことがあります。小さい子にとって、葬式なんてそんなものです。

 

自分が歳を重ねるごとに、身近なところでいうと祖父母の死あたりから始まり、昔の恩師や叔父叔母などの親戚、さらに歳を取ると自分の両親や兄弟、学生時代の先輩、夫や妻、友達…といった、周りの人たちの死に立ち会うようになります。

周りの親しい人たちの死に直面し、幾度となく乗り越えながら、「そろそろ自分の番かな…」と死を迎えることとなります。

 

しかし僕の場合、それらの段階を吹っ飛ばし、一番近い血縁者である自分の父親の死に直面することになりました。しかも、病気や事故などではなく、自殺という後味の悪い死に方です。

 

しかし、強く怖かった親父が自分で命を絶った、という経験をしたからこそ、

 

どんな人間にも、いつか死ぬ瞬間が来る。
そしてそれがいつなのかは、誰にも分からない。

 

ということを、身をもって学ぶことが出来ました。

 

今回の一連の記事では、あえて「亡くなる」ではなく「死ぬ」という表現を多く使っています。

「死」という言葉を繰り返し目にするのは、読んでいる方にとってはあまり気分がよくないかもしれません。しかし、「死」の気持ち悪さや怖さとは、一度向き合う必要があります。

これはなにも、常に死に怯えながら生きていけと言っているわけではありません。ただ、死は全く他人事ではなく、自分が真剣に考えなければいけない問題の一つということだけは自覚すべき。全てはここから始まります。

 

死について考えることから、本当の人生が始まる

 

これぐらい言ってもいいんじゃなかろうか。

 

では次に、死を意識することで、当時二十歳の僕が得たものとは何なのか?

それについて書いていこうと思います。

 

時間の価値を知った

全ての人間に平等に与えられる唯一絶対のもの…
それが、時間です。

 

時は金なりと言いますが、本当に大切なのは時間の方です。お金は貯めることも増やすことも出来ますが、時間はそれができません。

生きる限り常に消費し続け、その最終地点が死です。

 

遅かれ早かれ、死は自分の元にもやってくる。
自分の死も、他人の死も、予期できるものもあれば、予期せず突然やってくるものもある。

 

行きたい場所があるなら、やりたいことがあるなら、そばにいたい人がいるなら、伝えたい言葉があるなら…

明日やろう、では遅いかもしれない。
自分の時間が動いているうちに行動しなければいけない。

 

これを知っているのと知らないのとでは雲泥の差。
終わりを意識するからこそ、密度の濃い時間を過ごすことができるようになるのです。

 

さて、これを聞くと、こんなことを言ってくる人がいます。

 

いつかは留学したいと思いながらも、いまだに行けていません。
こんな私は、人生の時間を無駄にしている駄目な人間でしょうか。

 

これに対して、僕はこのように答えるようにしています。

 

あらゆるものの意味や価値を決めるのは自分

 

 

楽しいこと、悲しいこと、辛いこと、幸せ、不幸、プラス、マイナス…

 

この世のあらゆるものの意味、価値を決めるのは自分だということ。

これも、親父が自殺して学んだことです。

 

第2話でも書きましたが、当時の僕は、自分が電話をかけなおさなかったことで親父が自殺に至ったと考えていました。

しかし、僕に声をかけてくれた叔父は、「これまで親父が自殺を踏みとどまれたのは、チフィがいたからだよ」と言ってくれました。

 

「親父が自殺した」というイベントは、誰がどう見ても変わらない事実です。実際、叔父がその言葉をかけてくれたからといって、親父はもちろん死んだままなわけで、自殺した事実は揺るぎようがありません。

しかしその言葉を境に、僕の中で親父の自殺は、「悔やんでも悔やみきれない、悲しいだけの事件」から、「目には見えなかった、自分と父親の絆を確認できた瞬間」に変わったのです。
同じ出来事も、見方を変えればプラスにもマイナスにもなるということです。

 

もちろん、他の人からすれば「何をこじつけがましい…」「絆があったかどうかなんて分からないじゃないか」と思うでしょう。

でも、何の問題もありません。だってこれはもう僕の世界の問題であって、ただ僕だけがそこにプラスの意味を見出せれば、それでいいのです。

 

僕らにできるのは、起こってしまった事実をどう捉え、どんな意味を見出すかということだけです。
しかしそれは逆に言うと、「捉え方次第では、不幸も失敗もあり得なくなる」ということに他なりません。

 

よって、「自分は駄目人間でしょうか」を聞くべき相手は、実は他の誰でもなく自分なのです。自分が「こんなんじゃ絶対駄目だ!」と強く思ったとき、はじめて行動に移すことができる。ただそれだけの話なのです。

 

意味や価値の尺度を、他人に握らせてはいけない。
過去・現在・未来、経験、お金、物質…
この世界のあらゆるものの意味や価値を決められるのは、
他の誰でもない、自分だけである。

 

 

これ、超絶大事なことだと思います。

 

「死んだあとに残るもの」を考えるようになった

 

いずれ自分の人生が終わる…いつかは自分も死ぬ日が来る。

死をリアルな形でイメージしてみると、究極かつ答えのない、とある疑問にぶち当たります。

それすなわち…

 

人生の意味とは?

 

遥か古代から今に至るまで、賢い人たちがあーでもないこーでもないと論争を繰り広げるも、未だに万人が納得できる答えが出ていない、そして今後も永遠に出ないであろうこの疑問。

 

でもちょっと考えると、答えが出ないのは至極当然のことです。

さっきも言ったとおり、物事の意味を決めるのは人間1人1人なので、それぞれ人生の意味も違うに決まっているからです。だから当然、誰もが納得できる答えなんて出るはずがありません。

 

僕は、「人生の意味とは?」の答えを出す作業はやめました。

一度決めたところで、また新たな経験をしたり人との出会い別れを繰り返すうち、自分の価値基準だって変わってくる。
そのたびに「あぁ、設定した"人生の意味"をアップデートしないと…」なんてやるのもバカバカしいだろうと。

 

そしてそのうち、結果より過程のほうが大事なんじゃないか?と気づきました。

つまり、人生の意味を考える道すがらで、「自分が人生を生き抜いて終えるうえで、本当に大切にしたいことってなんだろう?」ということを考え始めることのほうが、答えそのものよりよっぽど重要だということです。

 

そして、「死んだ後に何が残るか」について考えると、「自分が本当に大切にしたいものこそ、残したいと考えるのではないか」と思い始めました。それはなにも、ただ1つでなくてもいいはずです。

 

いろいろと思いを馳せてみた結果、まだ僕の中で答えは多くありませんが、

その答えの1つが、子どもでした。

 

親父は物理的にはこの世を離れたけれど、僕の記憶と思いの中には生きている。身体が滅んでも、思いは誰かの中で生き続けることができる。

その思いの受け手は、人によっては自分の親であったり、友達であったり、パートナーだったりするのでしょう。誰だから良い、誰だから駄目という話ではありません。僕の場合、特に自分の子どもに対してそう強く思うということです。

 

将来自分の子供に、

  • お前のおばあちゃんは、本当に立派な強い女性なんだぞ
  • 死んだおじいちゃんは、お父さんに大切なことをたくさん教えてくれたんだぞ
  • お父さんは、こんなことを考えて、こんな思いで生きてきた
  • お母さんとは、こんな出会い方をして、今でもずっと大切に想っている
  • お前が生まれてきてくれて、本当に幸せだ

 

そういったことを伝えたい。その結果、僕が望んだ通りの人間になってほしいわけではなく、それらを知った上で自分なりの考えや思いを作り上げて、また未来に繋いでいって欲しいなと思います。

 

(やばい、俺の遺書みたいになってる)

 

あ、間違えの無いよう言っておくと、「自分が死んで残るのは子どもだけだから、子どもを作らない人生には価値がない」という意味で言っているわけではありませんよ!

 

母親への感謝の気持ちが増した

まだ見ぬ子どもにすらこれだけ愛を感じている僕ですから、母親に対しても素直に感謝できるようになりました。

日々、幸せも辛いことも、誰かに愛されたり誰かを愛する気持ちも、全ては両親が僕を生んでくれなければ体験できなかったこと。

 

もちろん、言い争いだって今でもたくさんするし、実家に帰れる日だって少ないし、親孝行をする余地は腐るほどあります。

ただ僕の中で、「ありがとう、と思ったときにありがとうと伝えること」って、肉親ほど難しいんじゃないかなと思っているので、それを克服できたのは良かった。
特に親に対して、子は "やってもらって当たり前" と思いがちですし。

 

ただ、感謝しにくいっていうのは、長年連れ添った夫婦でも当てはまるかもしれないですね。

親父が僕に残した遺書には、「お父さんにはもったいなさすぎる、素敵なお母さんだった」と記してありました。

もし親父が自殺することなく生きていたとしても、自分の感情を表現するのが下手だった親父が母に直接このセリフを言える日は、恐らく来なかったのではないかと思います。

 

クレヨンしんちゃんだったか何だったか忘れましたが、「大人になるにつれ褒められなくなる」っていう名言だけ、僕の頭にずっと残っています。褒めたり感謝したり。そういうことを、いつまでも自然にできる家族でいたいですね。

 

医者になる踏ん切りがついた

 

あとこれは他の人にとって参考にならないかもしれませんが、親父が自殺したことで「精神科医になろう」という踏ん切りがつきました。

 

それまで血迷って「東京でバンドやるわ。行儀よく真面目なんてクソ食らえだわ」などと言っていた僕でしたが、ようやく医学の中で興味の持てる分野が見つかったのでした。
(正確には "もともと興味を持っていたけれど、いよいよ気持ちが固まった" という感じでしょうか)

 

精神科は僕にとって、医学領域の中で数少ない、僕が面白いなぁと思える分野です。医学以外にもやりたいこといっぱいで日々ブレブレの僕ですが、精神科に進んだことに後悔はありません。

 

それと最近、「親父が自殺した」という経験が、日々の診療で武器になり得るという可能性に気づきました。もちろん諸刃の剣なので、使いどころを間違えないように細心の注意を払っていますが…

 

以前、精神科の入院中の患者さん(70代女性)に、大丈夫かなぁー…と心配しながらも親父の話をしたことがありました。その方は症状も軽快して、現在は定期的に僕の外来に通ってもらっているのですが、先日受診された際に、

 

入院中に先生のお父様のお話をしていただいたこと、今でもずっと覚えています。
おかげさまで「どんなにつらい経験をしても、捉えようによってはプラスになる」という考え方が、私もやっと最近身についてきました。

 

と笑顔混じりにお話ししてくれました。これは本当に嬉しかったなぁ。

親父の自殺は、僕の中では既にプラスの意味合いを持っています。しかしそれが僕だけでなく、全く関係のない人の中でも、物事をプラスに考えるための良いきっかけになっている。親父は死してなお、誰かにいい影響を与えることが出来ている。

 

あぁ人は死んでも、こうやって誰かの中に生き続けていくんだなぁ…と、診察中にしんみりとしたのでした。

 

それとオマケですけど、親父の話をしたあとで僕が「辛いことがあっても、時間が解決してくれますよ…」というと、その言葉にかなりの重みを持たせることができるということも学びました笑
自分が実際に体感しているだけに、リアルに伝えることができてるみたい。

 

考えすぎる自分が好きになった

 

親父が死んでからというものの、これまで悩まなかったようなことで悩んだり、普通の人がスルーするようなことで考え込むようになりました。

 

僕は普段、まわりの友達なんかに "自分がこんなことに思いを巡らせてます!" と表出していません。
だから大半の人は、「チフィは何も考えてなくて、お気楽で幸せなやつだ」と、本当の僕と正反対のイメージを持っていると思います笑

だから、よくよく僕の話を聞いたら「もっとシンプルに考えればいいのに!」と言われるのは間違いないだろうし、僕自身 "俺こじらせてんなぁ〜〜"と思うこともあります。

 

でも、考えまくってる自分も嫌いじゃない、むしろ好きなんですよね笑

親父が自殺するという経験をし、あーでもないこーでもないと悩んだ日々を乗り越えたことによって、患者さんの気持ちもより深く理解できたり、こんな視点もあるよねと情報提供することもできるようになった。

「時間を無駄にしたくない、もっといろんな世界を見てみたい」という気持ちが、医療以外の違う世界にも興味を持ち、そこで新たな繋がりを作ることに繋がった。

日々新しい発見でいっぱいで、自分の武器になるものも沢山手に入れた。そしてそんな自分を好いてくれる友人やパートナーもできた。

 

楽しいこともつらいことも、その経験全部が今の僕を作ってくれた。
そう感謝できる。

そして今の自分を、他の誰でもない自分が好きだと思える。

 

親父が教えてくれたこの幸せを、今度は僕が伝えていきたい所存です。

 

意味のないことなど、本当に無い

 

やっと書き終わりました…言いたいことはほとんど言えた!少なくとも今は!笑

 

このシリーズは、基本的に真面目な内容となりました。
普段の僕はこんなに真面目なことばかりじゃなくて、「ウォシュレットのノズルとお尻の穴ってどっちが汚いんだろうね!?」といった話題で真面目に盛り上がるのが大好きな、どうしようもない男です。

 

真面目な話ばかりだったし、僕もかなり"語ってしまった"ので、読んでいて退屈になったりしたかもしれません。ただ、どうしても書きたくなったのでした。

同じような悩みで悩んでいる人でも、全く違った悩みを抱えている人でも。
この記事を読んでくれた人が、少しでも前にすすめる何かを見つけてくれたらと願うばかりです。

 

…何度も言いますが、物事の意味を決めるのは自分なので…

僕の文章がすっからかんでも、読んだあなたが、勝手になんとか意味を見出してください。笑

 

皆様がこれからの人生を生き抜くための小さなヒントにでもなれば、僕はとっても嬉しいです。

 

 

最後に。

 

長々と僕が書き連ねた駄文長文を、ここまで読んでくださった皆様にまずは感謝。

僕をここまで育て上げ、今でも優しく見守ってくれている、ユーモアたっぷりな母に感謝。

僕が小さいときから今の今まで、いつも気にかけてくれる愉快な親戚たちに感謝。

これまでに出会った、最高に頭が悪くて気のいい友たちに感謝。

これから出会う、まだ見ぬ未知の友たちにも感謝。

こんな自分を愛してくれる、最高のパートナーに感謝。

 

そして、命をかけて息子に本当に大切なことを教えてくれた、気づかせてくれた、僕の親父に感謝。

 

 

 

(俺、まだ死ぬつもりはないですよ!)

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